トムプロジェクト

2024/11/20
【第1965回】

詩人の谷川俊太郎さんが92歳で亡くなりました。彼のデビュー作である「二十億年の孤独」を読んだ時には異次元の世界にさらわれていく感覚がしました。定型詩なんぞをぶっ飛ばし感性の赴くままに書き綴った文字の反乱に戸惑い驚き、あらたなる詩の世界への期待を持たせてくれました。その後、翻訳、言葉遊びに徹した詩、映画テレビドラマのシナリオなどなど、あらゆる分野に挑戦しながら自ら朗読し読者の前でのパフォーマンスも意欲的に活動されていました。何と言っても谷川さんの詩の良さは、難しいことばで難しいことを言うのは簡単だと思いますが、やさしいことばで難しいこと、深いことを伝えることができた点だと思います。以下の詩は谷川さん最後の言霊です。

 

感謝

 

目が覚める

庭の紅葉が見える

昨日を思い出す

まだ生きてるんだ

 

今日は昨日のつづき

だけでいいと思う

何かをする気はない

 

どこも痛くない

痒くもないのに感謝

いったい誰に?

 

神に?

世界に?宇宙に?

分からないが

感謝の念だけは残る

 

谷川俊太郎さんの遺言詩ではなかろうか...

1965.jpg

ツワブキ
花言葉~先を見通す能力~

2024/11/18
【第1964回】

ようやく秋らしいというのか急に寒くなったりで、はや晩秋かなという週明け月曜日でございます。この季節は昔から読書の秋というフレーズが鉄板ですね。おいらもこのフレーズを裏切らないように乱読してますよ。山本周五郎から最近の若手気鋭の小説家が書いた不思議且つシュール物語まで、出来るだけ収納庫をしなやかに幅広く余裕を持たせながら過ごしたいという思いから日頃から心掛けている読書でございます。

その中で、昨日読み終えた吉本ばなな著「下町キック」、ほんわかな気持にさせてくれました。少し特殊な能力を持つ少女が主人公で、彼女たちを温かく緩やかに健やかに見守る下町の人々のお話。今世の中に氾濫している絆とか多様性をとかを堅苦しくとらえるのではなく、もっと余裕、余白のある関係性でもいいじゃないの?と清々しを感じさせてくれる作品。

 

他の全てが何もかも違っているのに、話が分かるその一点だけは完璧に共有している。これって未来のコミュニケーションではないだろうか、と私は思った。人はそれぞれ全く違う。それでも何か真ん中に大切にしていることがあり、それが同じ人たち同士はそんなコミュニケーションができるのではないだろうか。

このどうしようもない、戦争ばっかりしている人類にとって、もしかしたらこれは希望なのではないだろうか。

 

こんな文章を解かりやすくさらりと書ける作家と読書を通じて、暫し時を共に過ごせるのも幸せでございます。

1964.jpg

定点観測
~今日の紅葉~

2024/11/15
【第1963回】

一昨日、「エル・スールを映画にするったい」の会が銀座でありましたので出席しました。映画化を熱望されている武正晴監督を始め10人の方々が思い思いに映画化に対する思いを語ってくれました。あの懐かしい平和台球場での数々のエピソードはいつ聞いても面白い。おいらも、外野席後方の木々に昇り無料で試合を観たり、バイトで球場が満杯になり外野席の立ち見席客がより良く観戦するために、当時5円で仕入れたリンゴ箱(この箱の乗らないと後方の立ち見客は試合を観れませんでした)を放り投げ100円頂いた話なんぞは盛り上がっていました。70年前の平和台球場はボロボロでした。外野席を囲う石垣には場内からの落下防止のための鉄線ネットが張り巡らされていました。子供のおいらも力の限り木のリンゴ箱を放り投げるとネットに引っかかり場内のお客が手にすると百円札を丸めて落としてくれました。中には、箱だけ受け取って未払いの輩も居ましたね。いつの世もこすっからい生き方を平気にする者が存在することを子供心に学ばさせて頂きました。

皆さんの話を聞いていると、今の日本映画界は惨憺たるものだと再確認した次第です。企画書を持参しても「うちはアニメ中心に考えている...」「今ヒットしているコミックか小説の原作ものだったら...」なんて話ばかりそうです。これじゃどれだけ優秀且つ映画に情熱を傾けている映画屋さんもさっぱりでございます。

映画が映画として自信を持って届けられる映画版「エル・スール」実現に向けて歩き出しています。どんな些細なことでも協力、協賛情報があれば知らせてくださいな。

1963.jpg

これば映画にするったい!

2024/11/13
【第1962回】

今週の月曜日、いつものように新宿西口「思い出横丁」辺りを散歩していると人だかりが出来ているので側に行くと、年老いた男性が路上に倒れているではないか。男性に駆け寄り起こしながら手助けしているのが全員東南アジアの人ばかり。おいらも何とか力になろうとしたのだが、日本語も流暢なこの人たちがてきぱきと事に当たっていたので一安心。それにしても、この場にひとりとして日本人が居ないことに何となくショックを受けた次第である。

この国の未来を考えたとき、人口減少による働き手不足への不安が一瞬頭を過ぎった次第である。外国人労働者の必要性、そして働ける意欲がある人は年齢、男女を問わず仕事をしていかないとこの国は立ちいかなくなるに違いない。

そしてもう一つの危惧。人が倒れていようが無関心、無視する日本人の行動形態。こんな社会状況の中、他人のことなんか構っていられません、自分のことで精一杯ですという個人主義の蔓延。ホンマに世知辛い世の中になりました、昔こんな歌が流行りましたね。「東京砂漠」コンクリートに囲まれた環境の中で人の情けが次第に薄くなっていくのは必然、でもまだ昭和の時代には情はまだまだ熱く濃かった気がします。

今日の電車の中でも、年老いた女性がつらそうに立っているのに平然と優先シートに座りイヤホンで音楽聴きながら能天気に座っている若者を見かけました。おいらも注意しようと思いましたが、昨今の若者のキレ具合、闇バイトに何の疑いもなく参入する新人類のことを思うとなかなか恐ろしゅうございます。残念ながら命を落とすことも想定内の時代になりました...

1962.jpg

あと少しガンバレ!

2024/11/11
【第1961回】

先週の週末は、劇団チョコレート公演「つきかげ」を観劇。この作品は、6月に上演した歌人斎藤茂吉の5年後の物語です。歌人の老いと死に対して家族がどう向き合って生きていくのか、このテーマはいつの世も普遍性があると思います。劇団員3人と客演3人とのやりとり、この劇団の特徴としていつも思うのは、自分たちにやりたいことを客演の人達にも理解して貰うために相当な努力をしているのではなかろうか...芝居の一番難しいところは、役者個々人の表現をいかに活かしながら作品に収束させていくか...演出の仕方、役者の我、稽古を通じてどこまで上手く融合させて行くかが舞台の成果に繋がっていきます。

この日の舞台、客演のひとり音無美紀子さんが芝居の流れの中に程よくアクセントを付けていた気がしました。さすがベテラン女優ですね...

さて、今日から国会が再スタート。少数与党に、いきなり時の人になった玉木さん、昨日までの自信たっぷりの出で立ちから、今日は一転しょぼい顔。出る杭は打たれるじゃないですが、いつの世も話題になった人間に対してのあら捜しに躍起になる輩がうじゃうじゃしとりますのでご用心。5枚の座布団、残り0.5枚ですね。

それにしても、国会登庁前、インタビューを受ける裏金問題で話題になった和歌山選出の議員のなんと晴れ晴れしい顔。やはり国会議員という生き物、厚顔無恥でないと務まらないんですね。

1961.jpg

少しづつ

2024/11/08
【第1960回】

劇団俳優座公演「慟哭のリア」を俳優座劇場で観劇。あのシェークスピアの「リア王」を劇団桟敷童子の東憲司さんが大胆に翻案、演出。物語の設定を東さんの故郷でもある筑豊炭田にするあたりはさすが東憲司。桟敷童子の芝居をそのまま俳優座に持ってきた感があるにもかかわらず、80年の歴史を持つ座員を見事なタクトで活かしている。なかでも御年92歳になる岩崎加根子さんの演技に対して、リスペクトも含めてかなり繊細に演出したであろう工夫が随所に見られた。それにしても92歳で舞台に立つ勇気と気概にはあっぱれでございます。同じ俳優座出身の仲代達矢さん然り、戦前から戦後まもなく日本の演劇シーンをリードしてきた矜持が脈々と受け継がれている気がしてならない。

来年4月に取り壊される六本木の俳優座劇場、なんとも残念でなりません。上京した時に千田是也、東野英治郎、小沢栄太郎、東山千栄子、そして若手の仲代達矢、平幹二郎、市原悦子、栗原小巻などなど綺羅星の如く輝いていた人たちをワクワクした感情で観た記憶が今でも鮮明です。渋いところでは中谷一郎、杉山とく子さんなんかが絶品でした。

昭和がだんだん遠くなる...時代の移り変わりがあまりにも早く、後期高齢者はとてもついて行けません。懐かしがってばかりでは進歩もありませんし、なんでんかんでんとりあえず吸収しようとは思ってはいるんですが、やはり限界はあります。まあマイペースで基本的に心身ともに負担にならないように楽しい日々を過ごすに限りますね。

1960.jpg

昼下がりの公園

2024/11/05
【第1959回】

11月2日(土)宮野ひろみ舞踊40周年記念公演「絆」を内幸町ホールで観てきました。きっかけは今年、高円寺でのグラシアス小林氏のフラメンコ公演の時、偶然に宮野さんと30年ぶりの再会。トム・プロジェクトがまだ芝居の制作を始める前、おいらがスペインの田舎に滞在中、日々アンダルシアの小さなバルで聞いたカンテの響きが鳴り止まず池袋の小さな映画館で「ドラマチックフラメンコ」と銘打ち若手フラメンコダンサーの公演を10本ばかり興行しました。その中の一人がまだ高校生だった宮野さんでした。若いだけではありません、表現に対する情熱と意志を強く感じました。

30年ぶりに彼女の踊りに圧倒されました。おいらも日本に帰ってきてからたまにフラメンコ公演を観てはいるんですが、どうしても本場のフラメンコを目にしているだけに、何故日本人がフラメンコを踊らなければいけないのか?異国の文化に対峙する表現者にとっては、やはり己のしっかりした生き方が伴っていないとなかなか難しいものがあると思います。

この日、彼女がタイトルにした「絆」の意味が踊りを通して明確に伝わってきました。人として体験した孤独や葛藤、愛する人との出会い別れ、家族、そして何よりも踊りを通して人のために何ができるかという謙虚な佇まい...舞台に立ち観客に何が届けられるか?

この日、宮野ひろみさんが30年間、様々な困難を乗り越えながらも凛として舞台に立つ姿を観客の一人として拝見できた貴重な時間でした。 

1959.jpg

生きることは踊ること
踊ることは生きること

2024/11/01
【第1958回】

今年、唯一日本での明るい話題を提供してくれた大谷翔平選手のシーズンが終りました。それにしてもさすがに本場のベースボール、スピード、パワー、どれをとっても一流のプレーを存分に楽しませていただきました。一席プレミア付きで30万~900万と言う値段を日本に居ながらしてTVで観れるんですから何だか贅沢な気分になってしまいます。それにしても一流の選手はみなさんいい顔していますね。ドジャースのベッツは透明な眼をした修行僧顔負けの何となく哲学的な顔。フリーマンは黒澤明映画「七人の侍」に登場する寡黙ながらここぞというときに一刀両断でたたっきる侍役を演じた宮口精二を彷彿とさせる風貌。髭面のヘルナンデスの百万ドルの笑顔は幸せ満点。一方、ヤンキースのジャッジも身体同様おおらかな思慮深い面構えをしていますね。昨日は彼のエラーから一気に勝負の勢いはドジャースに傾いたんですが、このあたりが野球の面白さ、まさかなんてことが起きるんですから...しかし、その後のヤンキース投手の怠慢なプレーが決定的な負けに繋がりました。

一方、日本シリーズの対戦も俄然面白くなってきました。お互いのホームグランドで連敗してしまい横浜が王手をかけました。セリーグで三位だったチームが金に塗れたソフトバンクを倒すなんて痛快じゃございません。ソフトバンクの個々の選手には恨みつらみは全くございませんが、ただ一人山川選手だけは未だスッキリ致しませんな。ライオンズを後ろ足で砂をかける感じで去って行った行動はアスリートとして失格です。彼の顔がTVでアップされるたびに、どうみても愛されキャラではなさそうですね。自分の生き方がそのまま正直に顔かたちを造形していきますので、くれぐれも真っ当な生き方せねばいけませんことよ皆の衆。

1958.jpg

月初めのアンネのバラ

2024/10/30
【第1957回】

先週の10月25日(金)東京福岡県人会懇親会に出席しました。この日はトム・プロジェクトでも過去に4度上演した「エル・スール~わが心の博多、そして西鉄ライオンズ」の映画化に向けた宣伝もしてきました。映画化のきっかけは、「百円の恋」「全裸監督」「アンダードッグ」、今月からアマゾンプライムで全世界に放映開始した「龍が如く」を監督した武正晴さんの申し出から始まりました。

 

2014年両国シアターXで盟友、清水伸さんの案内で「エル・スール〜わが心の博多、そして西鉄ライオンズ」を観劇した。先の大戦からの戦後10年。昭和30年代の九州博多を舞台にした物語だ。上演後、図らずも慟哭している自分に驚いた。これ程までに身体が震えた観劇は記憶になかったからだ。幼い頃、北九州出身の母から何度となく聞かされていた、西鉄ライオンズの日本シリーズ三連覇。野球の魔術師、三原脩監督が東京の巨人軍を返り討ちにした奇跡に博多だけでなく、福岡、九州が沸いた1958年。神様仏様稲尾様、豊田、中西、大下等の野武士軍団は敗戦国日本の戦後復興の軌跡として語り継がれる要因の一つだ。貧しい少年達にとって平和台球場に向かう坂道は、まさしく夢と希望の道程であった。

そしてもう一つ、映画が敗戦に打ちひしがれた人々のエネルギーとなっていた時代。映画とは本来、弱者の糧になるものでなくてはならない。今創られている映画にその力があるのか?糧となっているのか?と自問自答してしまう。

「エル・スール」という作品から、自分が生きて来た日本の社会が失っていったエネルギーを思い知らされる。いや、自分自身がエネルギーを失っていることに気づかされた。父や母の青春時代を想う、有難い舞台を見せてもらった。これを何とか映画として多くの人に見てもらえないかと強い衝動に駆られた。その衝動から10年が過ぎてしまった。自分自身の雑事で精一杯の10年に自戒の念しかない。コロナウイルスによって、映画館で映画が上映されないという想像も出来なかった日々を体験した。生活様式の変化に拍車がかかり、日本中の街が開発という名の破壊を続け始めている。

 

以上が武監督の製作意図です。原作・岡田潔、脚本・東憲司。15年前に上演された芝居がこういう形で映画化されればおいらとしても嬉しい限りです。

肝心なことは映画製作費、膨大なお金をどうやって集めてくるのか?この日の県人会でも監督と共に熱く語ってきました。皆さんも応援しますと言っていただきましたが、まだまだこれからです。どなたでも結構です、応援、賛同していただける方がいらっしゃいましたらおいらのところまで是非知らせていただければと思っとります!

1957.jpg

雨あがる

2024/10/28
【第1956回】

駆け足衆議院選挙の結果が出ました。予想通りと言えばそうなんですが、投票日5日前、非公認候補にも2000万円の活動費が支払われていることが明らかになっていなかったらなんとか自公で過半数獲得したかもしれませんね...それにしても一連の裏金問題の資料を提供した共産党が議席を減らすのも皮肉なもんです。立憲、国民民主党が共に議席を伸ばしたのもこの国の国民性が良く分かります。大きく右によっても左によっても駄目、程よく中道路線を選択した結果です。裏金議員も随分と落選しましたが、あの八王子の議員の当選だけは理解できません。モリカケ、統一教会、裏金、腐敗の三冠王を当選させるなんてこの地区の人達に対して全国から非難の声が上がっているみたいですが...この人相当あくどい手を使いながら地元民になにやらをバラまいたとしか思えません。テレビに登場する形相はインテリを装った悪代官と言ったところです。早速、自民党に復党して暗躍するに違いありません。昔見た東映時代劇によく登場していましたね...権力を笠にして数々の悪事を重ねる悪代官が何と憎らしかったことか。善良なる八王子の皆さん、どうか目を凝らして彼の一挙手一投足に監視の目を緩めないようにしていただきたい!と願います。

そして、いつもながらの投票率の低さ。有権者のほぼ半数が棄権しているんですから、何をか言わんや状態。政治不信、無関心などなど、いずれにしてもそんな人達、あとで文句たらたら言っても後の祭りでございますよ。

さてこの後、政局はどうなることやら...国民民主党が権力にすり寄るかもしれませんね?

1956.jpg

コフキサルノコシカケ

1